悲しい話をするのは難しい

友達のブログを見て思ったこと。

思えば私は、失恋話をろくにしたことがないかもしれない。悲しい話を悲しい話のまま話せないっていう謎の性質が元々あるからそれも大きいと思うけど、あ~、ちょっと羨ましいな。でも私は恐ろしく気分屋なので、明日の私に聞いたら羨ましくないって答えるかも。なんで話せないのかな~、しょっちゅう考えるけど納得のいく結論が出たことがない。嫌だったこと話すのはストレス発散になるって言うのにね。でも私の場合寝れば忘れちゃうから、話し相手見つけるより寝た方が早いんだよね。

 

プライドが高いのかな。弱味を見せたくないと思ってる?

自己愛が強い自覚はあるけど、それとどう関係があるのかな。

 

よく考えたら、失恋話どころか恋愛の話もできないかも。いや、最近恋愛してないからそう感じるだけかも。これはちょっと分かんなかった。なんなんだよもう。

 

悲しかった話は、時間をかけて自分の中で噛み砕いて飲み込んで折り合いをつけて、その中でも昇華されて笑い話だったり、エピソードトークとしての面白さが見込めるものしか人に話せない。悲しいまま話しちゃうと、話に引き摺られて凄く悲しくなっちゃうから。あと、ただでさえ私は話が面白くないのに内容までマイナスだったらいよいよ誰も得をしないから。感情を制御できない。ずっと出来たことがない。

 

失恋なんてみんな辛くて、その辛さを共有してはじめて生まれるものすらこの世にはあるのに、私は人にその話ができない。そこに劣等感とかがあるわけじゃなくて、純粋に不思議だ。どうして私は失恋話ができないんだろう。半年くらい前に失恋したと私に話してくれた友達は、私の前でいっぱい彼女の心を見せてくれたし、涙もいっぱい流していた。私はどうすれば彼女に寄り添えるかなってそればっかりだったけど、よく考えると凄いことだ。誰かの前で感情を全力で吐露するなんて、私は大人になってからしたことがない。多分できない。そういう相手が私だけじゃないことはわかってるけど、それでも辛かった話ができる相手の1人として選んでもらえたことが嬉しい。

 

失恋の話、できるようになってみたい。人前で涙を流せるようになりたい。捨ててしまいたい色んな気持ちごと、誰かと分かり合いたい。恋の楽しさも、話せたらきっともっと楽しいものになる。恋の綺麗じゃないところも誰かと話してみたい。

夢がいっぱいある。

最初

Twitterの裏垢にぽつぽつと書いてたようなことを1つの纏まった文章にしたくて登録した。多分その方がストレス発散になりそう、なんとなく。

友達の影響も受けてる。

 

何かに新しく名前をつけるときは、いつもそんなに考えすぎないように考えてる。名前を捻り出す時間をかければかけるほど厨二くさい名前になるから。

好きな食べ物とかからつけるのが多いかも。みたらし団子とか、砂肝とか

はてなブログに初めて登録するときも勿論名前をつけなきゃいけなくて、適当に目についたものを名前にしようと思って部屋中を見渡すと、引き出しとか枕とか意外と名前になりそうなものが沢山あった。別に名前になりそうでなくても名前にするかもしれないけど。

引き出しが最有力候補だったとき、本棚にあった江戸川乱歩の「夜光人間」が目についた。あまりの表紙の気味悪さで、小学4年生の私を虜にした本。5年前くらいに小論文の対策本を買いに行った近所のブックオフで再会して衝動買いした、ポプラ社出版の「夜光人間」。インパクトが凄すぎるので一回調べてみてほしい。

 

それでなんとなく夜光人間。全部なんとなく、で決められるのは気分がいいね。